足の手術

〜 逆境を好転させることが出来たこその発明でした 〜



逆境こそチャンスあり 2000年1月記



 私は、日本眼鏡専門学校(当時2年制)の卒業生で、メガネについての基礎知識はここで学びました。


 在学中、メガネのデザインをして、図面を引いて提出する2年生の必修科目があり、

『 図面だけでなく、自分自身で、世界に一つしかないメガネを作って、かけてみたい・・・ 』

この思いが、発明への最初のきっかけになりました。


 実は私、1年生の時はあまり学校へは行かず、アルバイトばかりで、2年生への進級はかなり危なく

成績もビリから2番目で、ビリだった人は進級後すぐに退学してしまって、とてもヤバイ立場でした。(^^;


進級後しばらくして、今思えば「転機」が訪れます。

それは、皮肉にも入院・休学だったのです。



手術跡はまだ小さ
い最後の手術前
大きく切開した
最後の手術後


 私は高校時代、スポーツ入学し寮生活しながら部活に打ち込み、スポーツ障害をたくさん起こしたので

すが、当時は右膝に爆弾を抱えており、とうとう日常生活にも支障をきたすようになります。


病名は、

『 右 習慣性膝蓋骨脱臼 』 及び 『 右 膝鼠 』

 右膝のお皿が、外側に外れる癖が付いていたので、いつ外れて歩行不可能に陥ってもおかしくなく、

(習慣性膝蓋骨脱臼)


また、それまで外れた衝撃で欠けていた骨片が、ネズミのように膝の中を動き回り(膝鼠)、その位置に

よっては痛みが伴い、動かせない状態に悪化して来たのでした。


 この余計に与えられた1年は、足を手術したのでバイトも抑えるしかなく、勉強もするようになり、教科に

よってはTOPで卒業するまで眼鏡知識を身に付け(後に第三回全日本眼鏡技術コンテスト優勝)、その

眼鏡技術を活かすことによって、後の発明へと繋がって行きます。


 手術は、検査やボルト摘出を含め4回行ないましたが、そのうちの最も大きく切開した4回目の手術中

の写真がありますので、公開致します。



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